ひびの祝福

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卒業論文を書こう!

 大学に入ったらやりたいことがふたつあって、それはゼミというやつにはいって『数学ガール』的な青春をおくることと、卒業論文を執筆し完成させることでした。

 そもそもわたしは中学生のときからそのような夢を持っていて、ほんとうは高校で『数学ガール』的青春をおくるつもりであったのだけれど、なんと自身が想像以上に根暗で卑屈でしかし尊大であったため、ただのガリ勉クソ野郎として高校三年間を暗黒に沈めざるを得なくなってしまった。

 そういうわけで、大学に入ったばかりの4月、言語学と衝撃的な出会いを果たしたわたしは、これはもう、今度こそは、今度こそはゼミに入って友人を作り議論を戦わせ淡い恋などもあったりしながら研究に邁進し、立派な卒業論文を書くしかない、書くぞ!!!!と決意したのである。

 しかし、しかししかししかし、わたしを言語学と正面衝突させた当の本人であらせられるところの学部唯一の統語論を専門とする教授が、わたしがゼミに入るタイミングで、ぴったりすっぱりサバティカルに入られてしまったのである。

 留学をして理論言語学について結構頑張って勉強してきた勇姿を見せつける気で(そして褒められる気で)いたわたしの落胆たるやそれはそれはすごいもので、闇の就職活動の始まりが重なっていたこともあり、じつはその後2週間ほど寝込んだ(マジ)。ゼミにも入れず、したがって友人もできず、したがって卒業論文という形で大学4年間の勉強を修めることもできないとなれば、ではいったいわたしはなんのためにこんなバカ高い学費を払って大学に進学したのであろうか?卒業証書たったいちまいと大卒の資格のためだけだとでもいうのだろうか?と、そう考えるとつらくかなしかったのである。

 ゼミはもうしかたないにしても卒業論文を書くということがどうしても諦められなかったわたしは、所属学部の違う縁もゆかりもない他学部の教授を頼ることにした。とても親切で面倒見の良い教授のおかげで、なんと、なんとなんと、わたしは卒業論文の指導をしていただけることになったのである!!!!!やったぜ!!!!!

 

 というのが去年のちょうど3月ころ。間に就職活動をはさみ、夏休み中は遊び惚けていたのだが、秋学期のはじまりとともに、本格的に卒業論文に取り組み始めた。

 前置きが長くなってしまったのですが、そういうわけで、卒業判定に全くかかわらず単位認定もされない、完全な個人的趣味でなんとか卒業論文を指導していただき、書き上げることができた者として、完全な個人的趣味で卒業論文を書きたいひとや、高校生で大学の研究ってどんな感じかな~と思っているひと、あるいはなんとな~く言語学に興味のあるひとなどに向けて、わたしの完全な個人的趣味ゆえに日の目を全くと言っていいほど見ないであろう卒業論文の制作過程とその内容を紹介したいな!と思います!!心して読んでね♡

 

卒業論文を書こう!

1:指導教官をみつける

 さて、上述のわたしのような状況でしかし卒業論文が書きてぇ!というひとは指導教官探しからはじまります。所属が同じ教授のほうがなるべくならよいとは思いますが、他学部でも自分のやりたいことと近いものを専門としている方がいらっしゃったらお願いしてみましょう。わたしはいわゆる一般教養科目としてとった科目を担当していらっしゃった教授を頼りなんとか見ていただけることになりました。ラッキー!!めちゃめちゃありがたくて涙が出ちゃう……。

 

2:テーマを決める

 卒業論文が書きてえ!卒業論文が書きてえ!!と喚いていたわりに、10月時点で、ところで卒業論文って、どうやって書くの????テーマ???????とは????みたいな状態だったわたしです。何がしたいんだよ。やりたいこともぼんやりしていて、統語論で~~~ミニマリストプログラムって英語だとすごいいい感じだってやってきたけど~~~~英語以外の言語にもそんなにうまく通用するのかな~~~???母語の日本語だと直感も働くし~~~日本語の文献読めて楽そうだし~~~~日本語のなんか面白そうな現象についてミニマリストプログラムでこねこねする感じがいいな!!ということで、三原健一(2006)『新日本語の統語構造―ミニマリストプログラムとその応用』を読みつつ「なんか面白そうな現象」を探すことに。

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卒業研究のための読書ノート サンリオかわいい

  ノートを一冊用意して、知らなかったことや面白いと思ったことがあれば都度ページ数とともにメモしながら読んでいました。ノートを見ると、どうやら使役文や受動態について、あとは主格目的語(「言語学が好き」など)や主語・目的語繰り上げ構文を通して格付与について考えてみた~いと思っていたようです(今読み返すとさっぱりわからない。ウケる。しかも今見るとぜんぶ普通に面白そうに見える)。

 しかし、母語だと直感が働きそ~と安易に日本語を選んだのが仇となり、「いやわたしはこの文ぜんぜん許容できるけど……」とか「これはめっちゃ非文に聞こえるぞ!?なんで非文扱いじゃないの!?」とか、むだに判断がゆれにゆれまくり、「なんか面白そうな問題」を見つけることにめっちゃ困難を感じてしまう結果となりました。

 そこで、なんでこの本を手に取ったのか全く思い出せないのですが、次に『書評から学ぶ理論言語学の最先端』を読み始めました。いやすごいこれはテーマを見つけるのに良い本だなあとしみじみ思うのですが、だからこそなんで自力でこの本にたどり着けたのか本当に謎です。よくやったな。えらい。

 この本のいいところは、取り扱っている論文が2000年代以降の新しいものが多いところと、ひとつの論文の書評がどれも見開き2ページで書かれているので、めっちゃサクサク読めるところです。飽きないね!サイコ~。この本からいくつか気になる論文をピックアップしました(見開き2ページだとコピーもかんた~ん)。

 わたしは具体的には以下の3つの論文をピックアップしました。

・Jonathan David Bobljik (2002) "Realizing Germanic Inflection: Why Morphology Does Not Drive Syntax"

 ・Ian Roberts and Annna Roussou (2003) "Syntactic Change: A Minimalist Approach to Grammaticalization"

  ・Shigeru Miyagawa (2010) "Why Agree? Why Move?: Unifying Agreement-Based and Discourse-Configurational Languages"

 樹をかいて素性があって移動する!!!みたいなやつ(ふんわり)が派手で(?)かっこよくて(?)わかりやすくて好きなので、この2つになりました。意味や解釈の違いといったなんかあんまり定量的に扱えなさそ~なものが、具体的にシンプルにわかりやすく統語構造上の違いに反映され、きれいに説明されると嬉しくなってしまうんです……。また、当時はRoberts&Roussou(2003)が統語上の通時的変化を取り扱っていることにも惹かれていました(「通時的な変化を追う」ことは結局卒業論文ではあまりうまくできなかったのですが……)。

 というようなことを指導教官に伝えたところ、Bobaljikの論文をもとに、ゲルマン語族内の動詞移動の変異についてやってみたらいいのではというお言葉をいただきました。そして、Bobaljikの論文と、Bobaljikとは(かなり)異なるアプローチをとっているKoeneman(2010)の論文をそれぞれ読んで、どちらのアプローチがいいと思うかを考えてくることが次回の宿題になりました。

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文献のまとめノート 自分の言葉で整理しなおしたり



 ちなみにゼミというわけではないので、指導教官とは2週間に1回くらいのペースで進捗報告会をしていました。第1回目はテーマの報告、第2回目はBobaljikの論文の要点の報告をし、質問や疑問点に答えてもらいました。第3回目はKoenemanの論文について第2回同様のことをし、Koeneman的アプローチをサポートする感じで行きたいナというところまで決まりました。また、ここまで進んだのは11月後半くらいです。Introductionに相当する先行研究のまとめもここで書いています。

 

3:先行研究をちょっぴり読む

 研究対象としては先ほどもちらっと書いたのですがゲルマン語族ということになります。ゲルマン語族とは、共通の祖先から枝分かれしてできたとされる言語の一群のことで、主に英語、ドイツ語、オランダ語、フリジア語、イディッシュ語スウェーデン語、ノルウェー語、デンマーク語、アイスランド語等が含まれます。多い。

 そして、言語学を専攻しておきながら、わたし、じつは外国語は英語しかわかりません。

 なんとドイツ語すらわからない状態でめちゃ大量の言語を扱わなければならなくなりました。ウケるな~。卒業論文を書き終えた今でこそそれぞれの言語に大体のイメージ(?)は持てていますが、当時はオランダ語(Dutch)とデンマーク語(Danish)が、気を抜くとどっちがどっちかわかんなくなるような状態で、ヤバヤバのヤバでした。

 なので、まずは、そもそもゲルマン語族とわ?ドイツ語とわ??オランダ語とわ???みたいなところから勉強しようと思いました。とわわゎゎゎ~~~~~~。

 このとき読んでいたのはCambridge出版からでているCambridge Language Surveyesシリーズの"The Germanic Languages"と、個々の言語についてはCambridge Syntax Guidesシリーズでした。

a.co

www.cambridge.org

 ここでゲルマン語族についての基本的な知識を整理しました。ドイツ語、英語と似てる印象があったのですが、動詞が必ず文頭から2番目の構成素でなければならない(V2語順)ということ(めっちゃ基本。ゲルマン語族に共通する特徴)を知り、え~~~~表面上は似てても意外と全然ちがうっぽ~いと素朴に驚いたりしていました(バカ)。  

 

4:先行研究をちょっとたくさん読む

 ゲルマン語族全体について勉強するとともに、個々の言語ごとにも詳しく見て正確な記述を整理しなければならないと思っていました。先に挙げたSyntax Guidesシリーズはすごく使いやすかったのですが、なんと、ゲルマン語族についてはドイツ語、オランダ語アイスランド語しかなく(しかも大学の図書館にはドイツ語のものしかなかった)、困り!!!ということで指導教官に、本土スカンジナビア言語に関して、また、Koenemanの論文でオランダ語の例が取り上げられていてその確認をしたかったのでオランダ語に関して書かれているいい感じの本を読みたいのですが、とお伝えしたところ以下の2冊を教えていただきました。

 ・Jan-Wouter Zwart (1997) "Morphosyntax of Verb Movement :A Minimalist Approach to the Syntax of Dutch"

 ・Anders Holmberg, Christer Platzack (1995) "The Role of Inflection in Scandinavian Syntax"

 冬休みは主にこの2冊を読んでいました。年末年始に家族と旅行で泊まっていたホテルでだらだらのびびしながら読んでいたことが印象深いです……。

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 文献を読むときは、ノートに気になったところや後に引用・参照したいだろうところをページ数とともに書き写し、コメント(謎、わかんねー、使えそう、等)をいれています。論文の形にする時に、ページ数がわかっていないと「あれどこに書いてあったっけ」とか「確認したいがどの本のどこにあったか完全に忘れた」みたいなことになって無駄に時間を食いますので……。あと、休み明けに指導教官に質問等をしようと思っていたので、一部メモはパソコンでつけて、共有しやすくしていました。また、文献には付箋を貼っていました(紙を痛めるので本当は良くないですが……)。これは「後で読む」「この記述使えそう」「このデータ使えそう」などで色分けして貼っていました。

 

5:卒業研究発表会に出る

 冬休み中に読んでいた文献での提案を採用しながら、それらをKoeneman的アプローチに移植し、Koenemanの提案を改善したいナ~……という方針が固まってきました。ということを事前にメールで指導教官にお伝えしたのち、読みながら作っていた疑問点・質問点メモをお送りしました。それらをもとにした進捗報告会で具体的な自分の提案の内容が決まりました。イエ~イ。

 1月末に卒業研究を発表する機会があるとのことで、その後は発表に向けてスライドを作っていました。研究の発表会をしたことがないので、どうしたらいいんだろう……と手探りながらとりあえずスライドは完成。1月末は期末試験があったりTOEICを受けなくてはならなかったりでばたばたしていたのですが、なんとか友人に手伝ってもらって発表会の予行をさせてもらいました。

 持ち時間は質疑応答含め30分なので、20~25分で収まるようにしたいナとか言っておきながら、第1回目の予行、総発表時間、なんと50分という意味の分からない数字をたたき出してしまいます。

 専門外の話を50分も根気強く聞いてくれる友人に謝意(ダブルミーニング)を表しまくりながら、ど、ど、どうしよう~~~!?!?!?とめっちゃ焦ったのですが、わたしの神友人はスライドの順番、けずれるところ、不明瞭だったところなどをとても丁寧に指摘してくれ、最初は初めての発表でどうしたらいいのかわからなかったのに「わたしにも……できそう!!!」と思えました。ありがとう……ありがとう……。

 めちゃ緊張して迎えた当日ですが、なんと23分で発表が収まりました。やったぜ!!!指導教官にもよくまとまっていましたと褒めていただきはっぴっぴまるでした。

 

6:ふたたび文献を確認し細かいところを詰める

 あとは発表の内容を論文という形にまとめるだけだ!!ということで、とりあえず2月中をめどに卒業論文を執筆することになりました。

 しかし、これでいいのかなあ?細かいところをもう少し調べたり、確認したりしてもう一回考えたほうがいい気がするのなあと感じていた(発表会で時間の都合で飛ばしたところは詰められていなかった)ので、2月中も文献を読んでいました。

 先に挙げたCambridgeのSyntax GuidesやLanguage Surveysを読み直したりしつつ、以下の文献を新しく借りて読み出しました。

 ・Sten Vikner (1995) "Verb Movement and Expletive Subjects in the Germanic Languages"

 ここらへんで読んでも読んでも読まなきゃならない本がある気がする病にかかり少し焦ります。芋ずる式に読みたい文献がドコドコ出てきて「研究っていつ終わるの!?けんきゅうしゃはマジですごいな」と思いました。たいへんだ。また、初めに挙げたBobaljik(2002)やKoeneman(2010)もいま一度読み直したりしていました(初めに読んだ時より理解度が段違いでめっちゃウケた)。

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文献リスト 列挙したのち、優先順位をつけています

 とかやっているうちになんと2月が終わり、3月に突入してしまいました。

 

7:論文の形にまとめる

 3月に入ったあたりで、もういい加減書き始めなければ……と論文の構成を考えだしました。

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 順序を並べ替えたり、並べて比較したりするためにただのコピー用紙を半分に折ったものを使って構成を考えていきます。画像の赤字は、当該セクションで使うデータの出典をメモしている箇所です。この構成メモが設計図のような役割を果たすので、作り方(章立て、その順序、内容)と材料(データやメモの出典、参考にする文献)を一度全部書いておきます。するとあとは文章を書くことだけに集中できて楽です。構成を考える際に、「ここもうすこし詰めたい」「こんなデータが欲しい(あるいはあったら困るから確認しよう)」という点が出てきたらつど、文献読みにもどります。

 んで、このメモがだいたい完成したらワードで実際に書いていきます。もうここまでくるとひたすら文章を書くだけなのですが、まあ飽きる。飽きぽよ~。ぷんぷん。休憩しながらちんたら書く。ちみちみ書く。するとどうなるか。

 卒業論文がすこしずつできあがる!!!

 そして……

 ……

 …

 完成!!!!!!!!!!!!!!

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でででできたー!

 ということで10月から3月15日までかけて、長年の夢であった卒業論文を執筆し完成させることを達成することができました!うれし~!!先に述べた通り、別にこの論文はどこにも出さないし、指導教官くらいしか全部目を通してはくれないだろうし、単位にもならないし、卒業認定にも関係ないものなので、途中で、「やめちゃおっかな……」とか「別に趣味だし完成させなくてもいいっちゃいいよな」とか考えなかったこともないのですが(!?)、他学部にもかかわらず、指導教官が貴重な時間を割いて指導してくださっていることがありがたく、うれしく、そして進捗報告会は毎回とても楽しみで(そして実際楽しかった)、なんとか完成させることができました。何か一つをやり通すことがめちゃクソ苦手なので、こうやって自分でやりたいといったことをやりとげられて本当によかったな~と思います。研究の一端に触れられて、大学に来てよかったな~研究はたのしいな~(修士に進めばよかったカモ……とさえ思ってしまうくらい)と思えたこともうれぴっぴまるです!!

 

 

 

 ここまで読んでくれてありがとうございました、卒業研究ってどんな感じなのか、ちょっとでも伝えられたらうれしいです!あと、この卒論を読んでみた~いという奇特な方がもしいらっしゃたらご連絡くださればPDF投げます♡♡♡ ウフフ 

2017年にみたもの

2017年は、就職活動などもありましたが、けっこう元気に楽しくいろいろなところに行ったり、見たりすることができました。たのしかったことは、写真に撮って、ポスターやチラシを持って帰って壁に貼って、そうしてこうして文章を書いてと、なんども繰り返し、忘れないように留めておくことにしました。もともと収集癖があることもあって、なかなかたのしく、飽きずに、いきててしんど〜い、しにた〜いという気持ちを紛らわせているのでないかと思います。じぶんのごきげんとりが、ちょっとだけ、うまくなったようです。とはいうものの、チラシやポスターをべたべた貼った壁を眺めると、そのあまりの量と色彩に圧倒され、偏執的な気がしなくもないので、もっとふつうにたのしくいきていきたいものだなと思いました。

 以下は、手帳から抜き出した、2017年のお出かけした場所と簡単な感想を羅列したものです。毎月何かしらみにいけていて、よかったなあと思います。特に映画館にたくさん行きました。今年はもう2月も半ばだというのに、一本も映画を観られていないので、春休みの間にたくさん見たいと思います。

 

1月

映画『キャロル』@渋谷アップリンク

 「見逃した映画特集」で観に行きました。確か初アップリンクで、都会にはこんなに小さな映画館があるのかと驚いたものでした。映画はとても良かったです。ほんとうに。じつはわたしも好きな年上の女の人に「天使」だと言われたことがあるのです。うふふ。あとは内緒!

2月

映画『エヴォリューション』@渋谷アップリンク

映画『ひなぎく』+『不思議惑星キン・ザ・ザ』@早稲田松竹

 名画座デビューでした。『ひなぎく』が目当てだったのですが、『不思議惑星キン・ザ・ザ』も存外おもしろかったです。というか、ひとつの映画体験として、おもしろいものになりました。へ、へんな映画~……と思って始終、なんというか、パラレルワールドというか、異世界というか、そういうところに迷い込んでしまったような気持ちになりました。帰りは高田馬場の喫茶店ロマンで晩御飯を食べたのですが、そのときちょっと読んだ本にタバコの臭いが染み付いてすこしうわ~と思いました。タバコは嫌いです。『ひなぎく』は最高でした。でもあれは少女映画というより終末映画って感じでした。

3月

映画『ラ・ラ・ランド』@トーホーシネマズ

展示『ミュシャ展』@国立新美術館

 『ミュシャ展』は印象深いです。平日の初日に行ったのに、物販が死ぬ程混んでいてびっくりしました。当時の恋人と行ったのですが、たしかこの展示で、「あ、このひとと出かけてなんか見ても全く楽しくないしなんならひとりできたほうがよかったな」と感じるようになりました。そういう思い出。へへへ……。展示はとっても良かったです。絵がちょ~でかいので、展示自体はこんでいても楽しめて、それがよかったです。

4月

展示『リカちゃん展』@松屋銀座

映画『お嬢さん』@トーホーシネマズ

映画『ムーンライト』@トーホーシネマズ

 『お嬢さん』!『お嬢さん』が最高でした。観ながら、「なん、な、なんだこれわーーー!!!」とどきどきはらはらうっとり、といった感じでした。すごい。この、お耽美くるか!?と思いきやわけのわからない外しが入る感じ、すきです。

5月

展示『LOVE LOVE SHOW 2』@青森県立美術館

上野動物園

 始めて上野動物園に行きました。ぱんだちゃんはまだ生まれていなくて、ちょうど妊娠中だったのかな。いいお天気で、竹皮パンダ弁当を不忍池のほとりのテラスで食べたことが思い出です。

6月

映画『お嬢さん特別版』@新宿シネマート

 『お嬢さん』すごいので観て!!!ととってもだいすきなひとにおすすめして、特別版がせっかく上映されるということで一緒に観に行きました。たしか第一志望の最終面接を終えてからだと思います。なんだかフワフワしていました。映画はもちろん面白く、久しぶりのおしゃべりも楽しかったです。ただ疲れて次の日の就職の選考をぶっちしてしまいました。

7月

映画『パーソナルショッパー』@渋谷アップリンク

映画『ウィッチ』@新宿

 内定したので、ここらへんから激しめに遊び出します。あでもまだこの月は、就活にかこつけて休みまくってた授業の試験対策でたいへんだったかな。風邪もひいたしね……。それに映画もあんまりささらなかったかな……。どちらも印象がすごく薄いです……。好きな方がいたら感想を教えて欲しいです。

8月

映画『ハクソー・リッジ』@渋谷アップリンク

映画『夜は短し歩けよ乙女』+『夜明け告げるルーのうた』@早稲田松竹

展示『深海展』@国立科学博物館

展示『はるかなるルネサンス』@青森県立美術館

 夏休みなので遊びほうけています。『ハクソー・リッジ』にやられて、しばらく戦争にはまり(『フランケンシュタインの誘惑 科学史闇の事件簿』でちょうど脚気日中戦争をやってたのもありますが)、ナチスドイツの人体実験とかの本を読んだりしていました。『夜は短し』はあんまりはまりませんでしたが(原作のほうが好き)(そういえば黒髪の乙女ワンピースを着た女の子がいました。かわいかったな)、『ルーのうた』は最高に良かったです。あのかわいらしさ、アッパーさ、そして蔓延る死や破壊のイメージの高低差がやべ~~~!と思いました。

9月

映画『ダンサー セルゲイ・ポルーニン』@渋谷アップリンク

展示『英国展』@日本橋三越

展示『夢の美術館』@島根県立美術館

 大学生なのでまだまだ夏休みです。島根県に旅行に行きました。松江はいい街ですね。出雲は……いなかでこわかったです。ただ縁結びのお願いはたくさんしてきました。人間と関係したい……。

10月

映画『新感染』@新宿

映画『ダンケルク』@トーホーシネマズ

映画『コードギアス反逆のルルーシュ 興道』@池袋

 この月は『新感染』がもっともよかったです。『お嬢さん』に続き、韓国映画や韓国の文化、若者にものすごく興味を持ち始めたきっかけです。『ダンケルク』はすごい酔って、ふらふらになりながら帰りました……。同じ戦争ものでも、『ハクソー・リッジ』とはぜんぜんちがいますね。

11月

上野動物園

展示『宝石の国展』@渋谷

展示『北斎ジャポニスム』@国立西洋美術館

 『北斎ジャポニスム』がよかったです。まさがドガクリムトも影響を受けていたなんて!もっと春画コーナーがあればよかったのにな、と思いました。

12月

バレエ『ROH 不思議の国のアリス』@トーホーシネマズ

常設展@国立科学博物館

  人生で初めて、バレエ、というものを見ました。当たり前ですが、ほんとうに、ひとことも、しゃべらないんだ……と思ってびっくりしました。色彩豊かで衣装が素敵で、そこはとてもたのしかったのですが、わたしは……せりふがあったほうが……すきだなあという、身も蓋もない感想を抱きました。授業の課題で、国立科学博物館にも初めて行って、でっけー!!!と思いました。閉館間際に館内レストランのムセイオンに行ってしまったせいで、メニューが軒並み売り切れでざんねんでした。いつかリベンジしたいです。

 

 以上です。2017年は上野がすきになった年でした。ぱんだちゃんも生まれたしね!映画は引き続き見ていきたいです。あと、喫茶店も結構行くようになったのですが、わたしはタバコ臭いのや、レトロ通り越してすこし小汚いところが苦手だなとわかり、また反対に、結構、アフタヌーンティーをやってるような、きれいな紅茶屋さんのほうがかなりすきと判明したので、今年はアフタヌーンティーにたくさん行きたいです。おかねかせぐぞ!ばいび!

スーパー無敵スター、あるいは大学卒業おめでとう

 わたし、マジやばい。マジ、自己肯定感、ブチ上がってる。自尊心、ダダ上がり。あまりにも自己肯定感と自尊心が満たされすぎてて、いままで毎晩足りない自己肯定感や自尊心を補おうとセルフよしよししてた時間、マジ持て余してる。長い間、いかに自己を肯定し尊重するかについてあれこれ悩んだりしていたので、ほっといても自己、肯定しまくりの尊重しまくり、みたいな状況がはじめてで、重荷が突然ふっと軽くなったみたいで、びっくりしているのだ。毎日3、4時間しか眠れなくてほぼ徹夜でつぎからつぎに課題ばっかりやってた試験期間が、とうとう終わって、突然なんにもすることがなくなってちょっと居心地が悪いような、そんな気持ち。

 高校生のとき、わたしの自己肯定感ちゃんといえば、マジ貧弱の激弱だった。高校に入りたてのころは、『数学ガール』みたいな高校生活を送りたくて、めちゃ勉強をしていて、ガリ勉であった。一日の勉強時間が200分超えてくるとニヤニヤしだして、休日に500分とかできるともうマジ快感、みたいなキモい高校生であったので、当然友だちはいなかった。正直に言うと、いっしょにくっついて教室移動をしたり体育をしたりさせてもらっていた(ほんとうに、させてもらっていた、としか言いようがない)グループはあったのだが、マジで浮いていた。わたしの学校は田舎で唯一の進学校で、医者か教師か公務員の子供が圧倒的マジョリティという異常に治安のいい場所だったので、陰口をたたかれたり馬鹿にされたりといったことは幸いなかったが、なんというか、その生暖かいやさしさのおかげで、最初、なんとなく浮いてることに自分自身あんまり気付けていなかった。しかし、夏の文化祭の準備期間に、とうとう浮きすぎてそのグループからぽぽーんとはみでてしまい、みんな友達同士ときゃっきゃしてるところを、地面から数センチ浮いたまま、ぼんやり見ることしかできないみたいな事態に陥ってしまったのである。文化祭の一日目はみな美容院へ行って浴衣を着つけてくることになっているのだが、そのときばかりはわたしは、「勉強を頑張ったからといって、友達ができるわけではないのだな」と思って心の中で泣いていた。アホである。でも、綺麗に髪もやってもらって浴衣も着せてもらって超マジかわいい自分を、誰にも褒められることなく、そして同じく超かわいいクラスメイトたちの誰のことも褒めることなく、華やいだ雰囲気のなかひとりでいるのは、15歳のわたしにはけっこう堪えたのだ。

 それまでのわたしは、ど田舎だったこともあり、勉強が一番できるというそれだけを自信にしていて、どれだけクラスから浮こうとも、空気が読めずに疎まれようとも、カースト底辺に置かれて軽んじられようとも、でもわたし、賢いし、といってふんぞりかえる性格の悪い子供だったのだが、このとき、なにかがぽきっと折れた。勉強が学校で一番できても、友達もいないし、一緒に笑いあうこともないし、浮いてるし、腫物だし、ぜんぜんいいことないじゃん。そしてわたしはそれ以降まじめに勉強をしなくなった。

 それで勉強をやめてどうなったのかというと、当然のことだが成績がさがった。一番がなかなか取れなくなった。そうするともう大恐慌である。なぜなら、どんだけ友達ができなくても成績いいしとふんぞりかえっていたその成績すらなくなってしまったからである。勉強をやめてから高校を卒業するまでの間、わたしの自己肯定感ちゃんはだからマジ瀕死だった。死んでいた。なんもないじゃんと思った。勉強もできなくて友達もいなくて、でもクラスメイトには友達になりたい人とかぜんぜんいないし(なんという上から目線なのだろうか?)、みんなバカだし、親もわたしの成績にしか興味ない(ように見えていた)し、誰とも話が通じないし、みんなに腫物扱いされるし、わたしは自分の考えていることを一生懸命伝わるように表現してるつもりなのに、わたしがおかしいから伝わらないのかな、わたし、頭おかしいのかな、でもリストカットとかもできないしやっぱり正常なのかな、でも、でも、でも……。自分が自分でいてもいいという自信が皆無だった。周囲をバカにして見下しながら、でも、バカなはずの彼らはすごく楽しそうにしてる、じゃあやっぱり自分の頭のほうがおかしいのかな、と不安になる日々は、地獄だった。いままで、成績がいいからって(そして治安のいい高校だったので)、頭がおかしくてもみんないじめたりせずにそっとしておいてくれた。時には一目置いてくれた。でも、わたしたぶん、いまはなんとか10番からは落ちてないけど、そろそろ落ちそう。ていうか受験も失敗しそう(実際に失敗した。二度も)。そしたらわたしはどうしてクラスで浮いていることに耐えられるだろう?

 しかしそうはいってもやっぱりわたしは賢かったので、高校三年生になるくらいには悩んだ末にある程度の指針ができていた。それはこうである。まず、学校やクラスで勉強が一番に出来る、というようなことをアイデンティティに据えるのはよくないという結論に達した。相対評価だからである。いる学校やクラス、コミュニティによって、容易に変化するようなものをアイデンティティの根底に据えると、コミュニティが変わるたびにものさしが変わって、その都度調整する必要がある。それは結構めんどくさいしもろいと思った。自分の能力にも限界がある。才能っていうものもある。そして、どこにいっても変わらないような、絶対的なものさしを確立するべきだと考えた。ただ、高校生の頃はそれがどんなものさしなのかということは、わからなかった。とりあえず、点数とか順位とかをものさしにするのはやめよう、いやまあ、ちょっといい成績でるとまたふんぞり返りそうにはなるけど、でも、それがよくないということだけは意識しておこう。そこまで考えたところで、わたしは高校を卒業した。自己肯定感ちゃんはでも、やっぱりまだ死んでいた。

 さて受験に華麗に失敗した私は浪人生として予備校に通うことになるのだが、この一年をかけて、点数や順位をものさしにしてすぐに人をバカにしたがる自分をわたしはなんとか諭した。そうして点数や順位というものさしを一度放棄したら、わたしは自分で自分の気持ちを言い当ててしまった。わたし、勉強自体、そんな、あんま、好きじゃないかも!?!??!?!ぜーんぜん、好きじゃない!!!!!なんということだ。でもこれが自分の本音だった。それまで、一応優等生ということでだらしのない生活態度などを先生方に許してもらっていたので、「勉強が嫌い」なんて言えなかったしそんな自分を認められなかった。「勉強嫌~い」なんて頭の悪いバカで生きる価値のないやつのいうことだと固く信じていたが、いや、まてまてまて、勉強が好きな人なら、もっと勉強してるし受験に失敗しないのでは?と考えてはたと気付いた。それに、点数とか順位が低い人をバカ扱いして見下してるの、そんなに楽しくないしなんなら気分が悪くなっちゃうな???そんな自分も好きじゃないな???あれ、もしや、わたし、勉強そんな好きじゃないから、死ぬ気でやったり絶対志望校に受かるぞ!とかっても思えないんじゃない?モチベーションがどうとかじゃなくて、普通に、好きじゃないんじゃない!?みんながいいっていう一番の大学を目指して死ぬ気で努力してそれを達成するというのを、わたし、そんな興味ないんじゃない?どうりで勉強しても友だち出来ないしとか意味わかんないこと言い出して勉強全然しないわけだ!!!わたしは勉強することによって何かを学べたりできるようになることそれ単体のためだけには頑張れないんだ。勉強することで一番になってふんぞり返れたり、みんなに好かれたり、とどのつまりわたしはわたしでいいんだよ、って認めてもらいたかったんだ。勉強はそのための手段でしかなかったんだ。ということを理解していなかったから手段にすらなってなくてひたすら迷走していたんだ。なるほどー!!!!欲しいものを素直に欲しいと言い、そのために素直にやっていればこんなねじれは起こらなったのに……わたしの暗黒の高校生活よ……。うう……。それからわたしのアイデンティティの指針がひとつふえた。それは自分ののぞみに誠実であることである。

 という感じでわたしの自己肯定感ちゃんの死因がとりあえず判明し、そこから必死の救護活動が始まる。とっかかりはつかめていた。つまりわたしは、自分で自分の問題を設定して考えて解決することができる賢い人間であるということをアイデンティティにしたらいいのではなかろうか?そしてそのためには自分ののぞみに嘘をついてはいけないし、誠実でなければならない。それを軸に自己肯定感に水をやり日を当て育ててやればいいのではなかろうか?そしてそれは正しかった。わたしは鳥が空を飛べて魚が水の中を泳げるのと同じように、たぶん自分ののぞみをごまかせないんだろうし、ごまかしてたら「ごまかすな!!!!」っつって精神が病んでわけわかんなくなってSOSでてすぐわかるし、それに解決しようとして考えることをやめられない。それがわたしの得意なことで、努力しなくても意識しなくてもそうあれてしまう、それ以外ではあれない、そういう絶対的な性質なんだろう。

 フレンズによって得意なことは違う。でもじゃあわたしにだけ得意なことは?わたしという人間がいついかなるときも満たしている性質は?それを言い当てることができてよかった。わたしの得意なことは、勉強とかスポーツとか音楽とか美術とか、そういうわかりやすいものじゃなかったから、いままでわからなかったけど、「う~うにゃうにゃ~~~しにたい~~~」と思いながら地獄をのたうち回っていたらひらめいた。わたし、のたうちながらも一応前に進めてるくない!?自分で考えて改善しようとすること、そしてそれを可能にするだけの言語能力がわたしの得意なことなんじゃん?!おお~地獄も悪くねえな!!気付かせてくれてありがとよ!!!あばよ!!!そしてわたしは浪人生活を終え、さほど勉強していなかったのでフツーの私立大学に進学する。

 こうしてわたしの自己肯定感ちゃんはなんとか息を吹き返した。まだまだちいさい芽でしかなかったけど。

 しかし大学に入学してからも地獄は続いた。地獄祭りである。不本意な留学と就の活はとくにひどい地獄だった。つら~~~い!!!なんて地獄の多い人生なんだろう?何の準備もしないで地元をしのぐど田舎での10か月の留学生活、入りたかったゼミが先生のサバティカルでまさかの募集停止、肉食マッチョ人間の集う就の活イベントでの精神大爆発など、地獄地獄アンド地獄である。2週間ひきこもったりとかざらである。ところがどっこい、大学生活もそれなりに地獄だったのだが、わたしの自己肯定感ちゃんはそのなかでもすくすく育っていた。というのもわたしの得意なことは逆境でこそ発揮されるものだからである。つらくてくるしい~なんでだ!?どこがでどころだ!?!?!?ここか!!!ここじゃん!!!!!オラーッ!!!!!というのがわたしの得意なことなので、地獄みを感じるたびに同じことをした。そしてオラーッ!!!!としてた結果、留学先では英語が異常に苦手なわりにがんばって、"You are one of the most gifted students we've ever met."というお褒めの言葉ももらった。一人旅もできた。わたしの得意なことが社会という大いなる他者に通用するかどうかはまだかわからなくて大いに不安だった就の活も、とりあえず終わった。いろんなお姉さんやお兄さんに手伝ってもらいながら、あちこちの選考で落ちまくりはしたものの、行きたいところになんとか行けることになったのである。快挙である。自分の得意なところを戦略的に利用して、社会にもわたしの居場所を認めさせることができた。やった!!!自分のために用意されている椅子を社会の中に何とか見つけ出して座らせてもらったぞ!!!

 そして就の活も終わるとあとは卒業するだけである。感無量。暗黒の高校生活を送っていたころから8年だ。やっとわたしはわたしのことがすごいえらいなと褒めるだけでなく自信をもって胸を張れるようになった。高校生および浪人生の時に達成できなかった、自分ののぞみをちゃんと把握してそのために努力し、結果を出すということができるまでになった。ここまできて、わたしの自己肯定感ちゃんはやっとなんか一人前になってきたような気がする。わたし、いま、だからスーパー無敵スター。あるいは暇な女子大生ニート。バイトに励み遊びまくっている。すこやか!

 張りぼての見栄みたいな第一志望の大学に落ちて、さほど考えずにフツーの私大に進学した。ぜんぜんする気も興味もなかった留学もしなくちゃいけなくなった。でも勉強はおもしろかったし留学していいこともたくさんあった。東京はマジで魔界の激ヤバシティだけど、いろんなひとに会えていろんなところに行けた。死にたくてむなしくて泣いた日、マジ数えきれない。大学、相変わらず出席率半分ちょい。友だち、いない。でも大学で知り合った友達は3人できた。すごい。それでいいじゃん。よかったじゃん。両親にも恵まれて援助もたくさんしてもらえて、たのしかったじゃん。

 とはいえ、働き出したらたぶんまたわたし、絶対、まず間違いなく、地獄だ~って思う日々が、来ると思う。涙がとまらなくて体が重くて死にそうって中で休まず朝から働きに行かなきゃならなくてマジしんどい勘弁してよって日が、絶対、来ると思う。それにこの国、どんどん悪くなってってると思う。東京五輪もたぶんしっちゃかめっちゃかでうんざりどよ~ん、安い給料で買いたたかれるのにもういい加減麻痺してきたぜどよよよ~ん、そんなことばっかりだと思う。でもわたしたちは死ねない。かわいそう。そしてわたしの唯一の特技は地獄をのたうち回ること。だからきっと頑張ってる。頑張れる。っていうか地獄マジやだマジ怒り、なんとかして回避してやるって考えずにはいられないもんだからなんかそれに向かってやってると思う。地獄が来ても。と、すくなくとも今は信じられる。頑張れなくなっててもそれでいい。そのときは長年の夢、自殺でもできるようになってるんじゃないでしょうか。それもまたいい。まあいいじゃん?

 だから今は大学卒業おめでとう。のこり少ない期間たくさん勉強して遊んで学生を満喫してね、ってするぞ!!!するからな!!!!押忍!!!!

『過保護のカホコ』の麦野はじめくんがこわい、あるいは麦野はじめくんへのラブレター

 今期のドラマは『過保護のカホコ』と『ハロー張りネズミ』を楽しみに生きている千代子です。先日放送された『過保護のカホコ』の8話が激ヤバで大混乱しているのでここに思いのたけをつづりたいと思います。

 まず『過保護のカホコ』についてざっとあらすじなどを紹介いたします。これは、超絶過保護に育った女子大生カホコちゃん(お弁当も作ってもらい最寄り駅まで送り迎え、着る服もママに選んでもらい、夜の日課は家族ビデオの鑑賞会)が就職が全然うまくいかないけどママは花嫁修業でもしていい人と結婚したらそれでいいのよ!って言ってくれてるしまあいっかな~のほほ~んとしていたところ、同じ大学の美術科に通う男子学生麦野はじめくんとひょんなことから知り合い、「お前みたいな過保護が日本をだめにするんだよ!」という今まで回りが(特に父)が言いたくても言えなかったことをズバーンと指摘され、自立への道を歩み始める、という話です。母親はマジ筋金入りの過保護、父親はそんな母の言いなり、母方の家族は毎日どったんばったん大騒ぎで純真培養のカホコちゃんどうする!?みたいな感じなんですけど、そんなことよりこの男子学生麦野はじめくんがやばいので麦野はじめくんの話をさせてください。

 麦野はじめくんは、幼いころに父親と死別。その後母一人子一人の貧乏暮らしを続けながらも、絵が好きなはじめくんは、「ピカソを超える画家になってお母さんに楽させてあげるから!」と宣言する何とも生意気でかわいらしい少年としてすくすく育っておりました。しかし、はじめ少年が7歳になるころ、母親が突然失踪。ごめんねという置手紙とおにぎりとともに残されたはじめ少年は施設に預けられることになり、自分を捨てた母親に対し失望したり憎しみや期待を抱いたりしながら、すこしひねくれて育ち、学費は奨学金で賄いながらバイト三昧の夢追う苦学生として頑張っているのでした。親からすべてを与えられ、何不自由なく育ってきて、またそのことをまったく自覚していないカホコちゃんに最初はフツーにムカついていたのですが、純真培養超箱入りお嬢様のカホコちゃんの常識離れした素直さにあてられ、「家族の愛なんて俺はこれっぽっちも信じちゃいねんだ」とのたまっていたのに、「カホコさんを見ていると、この世のいいものを信じてもいいんだと思える」とか言い出してカホコちゃんに惹かれていくのでした。

 というここまではまだいいんですけど問題の8話ですよ!!!!!!!!なにが問題かと言うと「麦野はじめくん病的な善人過ぎる問題」ですよ!!!!!!!!!!

 8話までにもいろいろ「おいお前いい人過ぎて逆にこわいよ!!!!!」案件は大量にあったのですが、この8話はマジもう麦野はじめくんだいすき幸せになってくれ党員としてはブチギレざるをえない。聞いてほんと聞いて!!!

 麦野はじめくんは、世の中甘くないとか、家族だからってだけで一緒にいることが必ずしも幸せとは限らないとか、お金がなくちゃ始まらないとか、嘘とか騙したりとか世の中にはフツーにたくさんあるとか、そういうことを悲しみながらも認めざるを得ないよね、でも泣いてばっかりじゃいられないしこの世で何とか頑張らなくちゃみたいなめっちゃけなげで冷静でありながらもかわいい少年なんですよ。竹内涼真さんの美貌と相まってスーパーキュートボーイなんですけど、誰がいったい嫌いになれようか????っていうくらいなんですけど、8話のお前はサイコパスと言われても仕方ないくらいに負の感情が死んでてやばかったぞ!!!!?!?!?!??!

 まず7話終盤から8話にかけて麦野はじめくんは2回、致命的にひどいことをされてるんですよ。

 まずカホコさんとけんかをしています。7話においてカホコさんは母方の祖母が余命幾ばくも無いことを知り、しっちゃかめっちゃかな親族をなんとか集めていつも通りの誕生パーティーを開こうと奔走します(そして病的な善人の麦野はじめくんは他人の家のめっちゃデリケートな問題にもかかわらず必死なカホコさんをみてなんとか助けようとするのでした。パーティーにも出席する。いいこか!!!!)。しかし集まったはいいものの始まったのは口汚い罵り合いに愚痴の言い合い、誕生パーティーはとても険悪なムードになってしまいました。ばあばもう死んじゃうのにこんな険悪な家族の姿しか見せられないことに怒りと悲しみを募らせ家を飛び出すカホコ、そして追う麦野くん←いいやつ。パーティーがだめならとカホコはばあばに自分のウェディングドレス姿や孫を見せてあげたいと考え、麦野はじめくんの気持ちを度外視して「子供作ろう!!!!」と宣言します。いやいやお互いが愛し合っていて子供が欲しいから結婚したり出産したりするんであって、ばあばを喜ばせたいからってそういうことをするのは本末転倒だろうと(自分の気持ちをないがしろにされていることには怒らず←いいやつ)諭す麦野くん。しかしばあばが死ぬと焦っているカホコちゃんには麦野くんのそんな気持ちがわかりません。「いっとくけど、カホコは、家族が一番大事だから!なにがなんでも家族と一緒にいたいから!!」と、麦野くんという他人の目の前で醜いけんかや言い争いを繰り広げている親族を見てきたばかりなのにかたくなに主張するカホコにさすがの麦野くんもカチンときたのか「家族だからって一緒にいることが必ずしも正しいとは限らないだろ」と反論。そこでなんとカホコは「家族がいない麦野くんにはカホコの気持ちはわからないよ!!」と吐き捨ててしまうのでした。そして彼らは別れることになります。「おれたち合わないよ」「所詮生きてる世界がちがうんだよ!」

 家族がおらず、愛された実感も持てず、ひとりでこの世の中を生きていかなければならないとかなしみやふあんを抱きながらも決意して頑張ってきた麦野はじめくんにこのセリフはあまりにもひどいのではないでしょうか????ひどくない??????カホコが大事にしているものだからって、他人の家の地獄の誕生日パーティーにも出席したし、すねてるカホコの従妹を連れてくるの手伝ったりもしたのに、なんでこんなこと言われなきゃならないの????しかも好きな女の子に?????この子とならこの世の善意や愛を信じられると思った女の子に???????カホコてめえはいま麦野はじめくんを死ぬほど傷つけたんだぞわかってんのか!??!?!?!?とね、わたしは大激怒だったんですよ、麦野くんしあわせになってって、思ったんですよ。

 なのに8話ではちゃんとカホコに謝らせることもなく、なんかいろいろあってうやむやになったのか、「カホコ~~~~~会いたかったよ~~~~~」「別れるなんていうなよ~~~~」「カホコに会えないと思ったら怖かったんだよ~~~~」「カホコがいないと自分がいる世界が嫌になるんだよ~~~~」とか泣きついて結婚する!とか言い出して麦野はじめお前順番がおかしいだろ!!!!!!!!!!!!今すごいお前かわいいけどそれは9割竹内涼真のおかげであって、お前!!!!謝らないカホコもカホコだけど、そこをうやむやにするお前もお前だよ!!!!!カホコは場合によってはいかにあのセリフが麦野はじめという人間を傷つけたのかまったくわかっていないし、ちょっとした売り言葉に買い言葉程度に思ってるぞ!!!!いいのかそれで!?!?!?あんなにいろいろやってあげて譲歩してあげて尽くしてあれだぞ!??!?!怒れ、麦野。キレろ、はじめ。そうじゃなかったらお前の悲しみや怒りや今まで頑張って生きてきたことどうなるの!??!?!?!?!?確かにカホコがいない世界は、善意も愛も信じられなくて暗くて怖くてさみしいかもしれないけど、さみしいからって自分の本当の気持ちないがしろにするなよ!!!!!そこだけは大事にしろよ!!!!!っていうか大事にしてもらわないとわたしがいやだよ!!!!!なぜなら善意も愛も信じられないと絶望すると同時に淡い期待を抱きながら頑張って生きてきた麦野はじめが好きだからだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 そして8話ではもうひとつめっちゃひどいことを麦野はじめくんはされています。それは母親です。彼を捨てた母親と今回なんだかんだあって邂逅することになるのですが、これがまたひどい母親なんですよ聞いてくださいよ。

  麦野はじめくんを7歳で置き去りにした母親、その理由が明かされるのですが、ギャンブル狂の夫と残された借金がストレスで覚せい剤に手を出ししまったという話でした。覚せい剤をどうしてもやめられず、一度はじめ少年と無理心中を試みるも我に返り、このままはじめといてはいけない、とそう思って置いていったとのことでした(ん?????????????)。ふーん。自首し刑務所に入り無事出所するも再び覚せい剤に手を染め、更生施設で過ごしていたはじめ少年の母親は、その施設で運命の出会いを果たし、職員の方と結婚。職員の方には死別した前妻との子がいたため、はじめ少年のことは言い出せなかったそうです(は???????????????)。

 こんな手紙を捨てた息子に残す人間、自分ばかり許されようとしていて小狡いと言ったらないんですが、はじめくんは孤独で愛に期待をしてしまうガラスの少年なのでそんなクソ親にも会いに行くのですね。いざ会いに行ってみたら覚せい剤をやった母親は立派な一軒家でお花にお水なんかをやっているではありませんか。中学生くらいの子供がふたり帰ってきて、にっこにこ笑顔をふりまき、虹が出るわよおなんてくっそくだらないことをやってきゃっきゃしているではありませんか。最低だな!!!!!!!!!はじめくんには何の援助もしないで、それどころかたぶん再婚相手には一切話さず存在を抹殺していい暮らしをしている、そんなのクソ以外の何物でもないじゃないですか。はじめくんここはキレろ!!!頼む!!!!と思ってみていたらですよ、なんとはじめくん、「謝んなよそういうの苦手だから」「幸せにやってるみたいだし?」「この先も幸せじゃなかったら許さねえからなこのやろう」とかいっちゃって?一度も声を荒げることなくなじることな謝らせることなく???爽やかに???その場を立ち去る?????おいこら麦野はじめ!!!!!!!!!!!!目をそらすな!!!!!!お前の母親は、楽をさせてあげたい、自分に気付いてほしいとお前があんなに渇望していた母親はな!!!!お前の存在ごと消し去って幸せになって、そのあとお前が苦労していようとなんっにも、なんっっっっにも助けてくれなかったし助けようとも思わなかったんだぞ!!!!!それだけならまだしも、息子を捨てたこと、覚せい剤をしてしまったこと、そういうことを全部許されたくて、自分を求めているはずの息子に全部おっかぶせて許されようとしている、信念のない弱い人間なんだよ!!!!いいの!?!?そんなふうに幸せ願っていいの!?!?よくないでしょ!?!??!母親に再開して数年後とかならまだしも、会っているまさにそのときにキレて怒らなくていつ怒るの???いままではじめくんの悲しみは?努力は?歯を食いしばって頑張ってひとりで生きてきたことはどうなるの???こんなやつらに、あ、立派にやってんじゃんよかったよかったそんな余裕あるならわたしのこと許してよって、そんなふうに思わせるために頑張ってきたわけじゃないじゃん!!!偉いねすごいねってほめてもらって愛されるために頑張ってきたんじゃん!!!!!!!!!!もおおおおおおおおいままで麦野はじめが頑張ってきたことをそんなうわっつらのうすっぺらな偽善者の言葉で台無しにしないでよ!!!!

 という感じでですね、わたしは怒り心頭でもうひっくり返りながら見ていたんです……。それなのに……巷では「麦野くんかわいい~~~♡幸せじゃないと許さないからなとか言われた~い♡♡」とか「麦野くんよしよしした~い♡カホコうらやましい~♡♡」とか言われてもうその反応もやめて!!!!!そういう自分に都合のいいことを善いものとしてもてはやす人間がいるから、麦野はじめという人間は生まれてしまったんじゃないんですか???怒りたいときやつらいとき、ひどいことをされたときにきちんと怒って相手に気持ちを伝えることをうやむやにする少年になってしまったんじゃないんですか???麦野はじめくんは世界に対して絶望していて冷めているけど、でもやっぱり愛されたいし善いものを信じたい、そんな素直な少年だったばっかりに、本当はみんなに好かれたかったばっかりに、こんな、こんな過剰で病的な善人になってしまったんじゃないんですか????もうわたしにはわかりましたよ、こんなに麦野はじめくんが異常な善人になってしまったのは、みなさんのせいですよ。自分に都合のいいかわいい生き物をもてはやすから、それをすべて織り込み済みで麦野はじめくんはあんな、あんなふうに自分の気持ちを無視してうすっぺらで耳障りのいい言葉をきれいな顔で言うようになってしまったんじゃないんですか???

 麦野はじめくん、お願いだ、いつでもどんなときでも正しくて善くて周りの人間にとって都合のいい人間になんかならないで!!!!おっことぬしになんかならないで!!!!っていうかおっことぬしになるくらい怒れよ!!!!!なれよ!!!!

 

麦野はじめくん、君が怒らなかったぶんだけこうしていま、わたしは怒っている。君がブチギレるその日まで、何度でもわたしは怒ります。それがわたしの愛だ!!!!!!!あと2話、目を血走らせながら観させてもらう!!!!!!!!!!!

じゃあな!!!!!!

低用量ピルを飲んで三ヶ月たったよ

 千代子です。もう春ですね。あったかいですね。実家は雪深い田舎だったのですが、この時期になると、雪が溶けてアスファルトが顔を出し、陽の光で乾いてゆく匂いが漂っていたのを思い出します。ので、乾いたアスファルトの砂っぽいような、埃っぽいような匂いが鼻をかすめるたびに切ない気持ちになります。エモ。

 さて今回は低用量ピルについて書きます。避妊目的というイメージが強い方もいる思いますが、わたしは月経前症候群PMSのとくに精神面の不安定さ(とにかく死にたい)をどうにかしたくて前々からピルが気になってました。飲もう飲もうと思っていてやっとこさ(精神が不安定すぎてなかなか病院に行けなかった)一月から飲み始め、いまは4シート目(4ヶ月目)に突入しまして、だいぶ慣れてきましたので、ピルを飲んでの所感をつらつらと書いていきます。PMS対策としてピルを検討している方などに参考にして頂ければと思います。ではいくぞ!

1:処方編

 まずピルをどこで手に入れるのかという話なのですけど、病院で処方してもらうか、インターネットで個人輸入というおもに二つがあります。ピルには婦人系のがんの一部(乳がん、子宮頸がん)のリスクを高め、また血栓症のリスクもありますので、いちど病院で血液検査をしてから処方してもらったほうが安心だと思います。わたしがかかっている病院は、そもそもピルの処方には血液検査が必須だったので受けました。異常はなかったですが、血縁者に乳がんを患ったものがいるので、そっちの検査も受けないといけないなと思っています……(が受けていない……30歳前後になると自治体で安く検査できるので……ちょっと……見送っている……)。はい。検査後はふつうの薬局みたいに、お金持って行って薬くださいって言うとくれます。楽ちん。ちなみに種類によっても違うのですが、1ヶ月分1シートで2000円前後します。先にあげたインターネットなどを通じての個人輸入では半額くらいで買えたりしますので、慣れてきたら個人輸入したほうがいいのかしら~と思います。つき2000円地味にくるので……半額はありがたいよね……。という感じでピルは入手できます。

2:飲み始め編

 ということでピルが手に入ったので飲み始めます。生理一日目から1シート目を飲み始め(なので生理が終わったタイミングでピルを貰いに行って備えよう!」)、一日一錠、決まった時刻に飲みます。とはいえ一分一秒ずれてはいけないというシビアなものではなく、4、5時間程度の前後はあまり影響がないようです(1か月につき1度までなら飲み忘れをしても調整が可能)。わたしは午後8時を目安に前後2時間の幅で毎日飲んでいます。出先で帰りが遅くなったときに飲み忘れかけたことがあるので、以後はチャック付きのビニル袋に入れて、パスケースと一緒に持ち歩いています。

 飲み始めの月は、最初の3週間はとても調子がよかったです。ホルモンバランスの変化の影響でいつもより生理がだらだらと続きそれはまあ不快ではありましたが、精神的に安定して、朝に起き、朝食をとり、活動できるようになりました。飲む前は、このようにまともに活動できる日は月に3、4日あればいいほうで、それもかなり過集中気味でほとんど寝ないで動き回っていたため、それ以外泥のように死んでいました。3日連続で朝起きてご飯を食べて昼活動するというのがまともにできたことがありませんでしたが、ピルを飲み始めてからは安定して過ごせるようになりました。すごーい!!!ピルすごーい!!!とめちゃくちゃ感動していました。

 が、4週目の休薬期間に入ると(ピルは1ヶ月単位で3週間飲み、1週間休薬します。休薬すると1、2日遅れて生理が来ます)、ものすごくものすごく頭が痛くなりました。もともと低気圧で天気が悪い時には頭がじんじん痛くなることが多かったのですが、それと同じかそれ以上の、なんともいえないむかむかを伴った頭痛が3、4日ありました。ピルを飲み始める前の生理前と同等かそれ異常の胃のむかつき、頭痛、だるさがあり、それまでが快調だっただけにすごくしんどかったです。身体がなれるのに、飲み始めてから1、2ヶ月かかるという話を先生から聞いていたので、しかたがないしかたがないと、今までがんばれてたし!とあまり気に病みすぎることなく存分に死んでいました。

3:身体が慣れてきた編(効用編)

 2ヶ月目も1ヶ月目と同じく、休薬期間にしんどみはあったものの、それ以外は比較的活動的に過ごしていました。3ヶ月目になると休薬期間の頭痛や胃のむかつきといった症状もほとんどなくなりました。そこで、ピルを飲んで慣れてきてわかった、効用について私個人の感想にしか過ぎませんが、つらつら挙げていきます。

生理面

経血の量、生理痛が減った(以前は生理1、2日目は痛み止めが必要でしたが、痛み止めが必要なほど痛むことがなくなった)

生理期間が短くなった(7日前後だったものが5日前後に)

避妊面

・ピルを飲むと排卵しなくなるため、避妊効果が高い。避妊具と合わせて避妊効果がより高まったことで、かなり安心してセックスができる(女子なら「妊娠してしまったかもしれない……」という不安に誰しも一度や二度は襲われたことがあるはずだ!!!それがなくなるよ)。たのしいセックスができる!!!

精神面

・気持ちが変に急くことがなくなり、落ち着きなく動き回ることがなくなった(以前は、たとえば部屋が汚いだけで、掃除しなきゃ・片付けなきゃとプレッシャーを感じ、しかしその割に気力がなくて実行できず、さらに気持ちが追い詰められるといったことが頻発していた。ピルを飲んでからは、自分の作業スペースがきれいだったら、まわりや台所が汚れていても、今やる作業を終えてから綺麗にしたらいいや、完璧じゃなくてもいいや、と気にならなくなった)

・朝、朝食を食べられるようになった(以前はでかけるぎりぎりまで寝ており、ご飯を食べる暇がなかったので即行で風呂・ドライヤー・化粧・着替え、部屋はちらかしっぱなしといった状態で家を出ていた。ピルを飲んでからは、朝余裕が持てることもでてきて、ホットケーキかトーストにスクランブルエッグ、ウインナーといった程度の朝食を準備して食べられることが増えた)

・帰宅後、コートをハンガーにかけ、服を洗濯機にいれられるようになった(以前はまず外にいる時点でものすごくつらい気持ちで、傍から見たら怒ってるみたいな早足で歩いて帰宅、やっと家だ、やっと帰った、と泣きそうな気持ちで靴も脱ぎ散らかし、コートは椅子に投げ捨て、着ていた服は廊下からベッドまで脱ぎ散らかしていた。帰宅してすぐに布団に入り、そのまま寝ることしかできなかった。ピルを飲んでからは、そんな必死でつらい気持ちで家に帰ってくることがなくなり、靴もちゃんと揃えて脱いで、コートもハンガーにかけてクロゼットにしまい、服もネットに入れるものは入れて洗濯機へ入れられるようになった。パジャマに着替えて手を洗って、飲み物を用意して作業することができるようになった)

・一日中勉強する、というのを4、5日連続でできるようになった(以前は一日中勉強するというのがまずできなかった。よって2日以上勉強するというのもできなかった)

 

 ピルすごい。すごい!!!なんでもっと早く飲まなかったんだろう。もっともっと早く飲んでたら……と思わずにはいられません。わたしはすごいめっちゃ死にたくて、高校生の頃から暗黒の日々を送ってきていて、まあその死にたさが一掃されるわけではないのですが、死にたくて死にたくてもう何もかもだめ、もう無理、みたいなズーンという気持ちになることが減ったとは思います。以前はつらい:つらくない比率が3:1くらいだったのですが、ちょうど逆(つらい:つらくない=1:3)位にはなったように思います。言いすぎかな……。でもつらくないのがレアだったころに比べたら、どっちもどっちかなくらいには確実になってきているので、改善していると思います。死にたい気持ちやめんどくさい気持ちはゼロにはなりませんでしたが、意味わかんないくらい気持ちが焦っていてもたってもいられなくて落ち着かなくて脅迫的な気持ち、みたいなのは限りなくゼロになったと思います。イエイ。

 

 という感じでピルを飲んでの所感です!!!人間っぽく生活できる時間が増えたなあよかったよかったという気持ちです。気分の波が1ヶ月単位な気がする、生理前は地獄、生理後には躁状態かと思うくらい活動的になる(わたし)といった特徴があって困っている人は試してみていいと思います!!!

それではよきピルライフを!!!!

 

おいしいたべものと思い出

 千代子だよ!がっこうはいまはお休みですが、勉強しなくちゃならないことも山積みだし、済ませないといけない事務的なあれそれも多くてこころが急く毎日だよ。きょうはなんだか眠れないので、去年の5月に帰国してから行ったたべものやさんのなかで、おいしかったのとその時の思い出が印象深かったものをいくつか紹介するよ。はんぶん食べログではんぶん日記みたいな内容です。だから、完全なる食べログを期待しているひとにはちょっと冗長でうざいかもしれないなと思います。というところも含めて食べログじゃんとか言わないでね!!!!いくよ!!!!!!!!

 

1.6月にル・クロ・モンマルトル(飯田橋)

 留学中にお世話になった日本人の先生が帰国するということで、お食事に行くことになり、足を運びました。ワインのお好きな5、60代の先生なので、しっかりしたお店にしなきゃいけないんじゃないのかな!?でもそんなお店知らないしどうしよう!?!?!?とちょっと困っていたのですが、インターネットの憧れのお姉さんがいくつかお店を教えてくださり、そのなかからここを選びました。21歳の小娘なので、フレンチ!ドキ!!きんちょう!!!みたいな感じで、びくびくしながら予約をして、お店に向かいました。コースは4000円ほどのものからあり、この日は前菜とスープ、メイン、デザートとカフェがいただける5000円のコースを頼みました。これが物心がついてからはじめてのフレンチらしいフレンチだったのですが、すっごいめちゃおいしくてヒーッ!!!!!!!!となりました。すごい衝撃でした。ひとことでは何とも形容しがたい、かといって言葉を尽くしたところで言い現わせるわけでもない、もうほんとうに、なんともいえないのだがとにかくおいしいということだけがわかる味が、これまたなんといったらいいのかよくわからない見た目の物体からするという体験でした。すごい。おいしーい!それと、ウエイターのフランス人らしきスキンヘッドのおじさまがおちゃめでした。

 先生とはアメリカの学生の話や、就職活動の話をしてなんとか終えました。この先生には、留学先の大学の寮で食事が出ない間におうちにとめていただいたり、なにかと車を出していただいたり(そして車内ゲロをぶちかましたり)、すごくお世話になった先生なのですが、すこし、きむずかしいところがありました。しかし、お世話になったし、目上の方だしということで、謝意を示し、敬いたい気持ちは多量にあったので、何が失礼で何が普通なのかをそろりそろりと見極めながら(委縮しながら)会話をしていた面もあり、すこし、肩ひじを張っていたことを覚えています。ちなみに、そのときわたしは、おろしたてのオレンジ色が鮮やかな麻っぽい素材でできた、オフショルダーのワンピースをきていたのですが、けっこう、パターンがシンプルなものだったので、先生に、「じぶんでつくったの?」と言われ、すこしショックでした。あと、スープのビシソワーズをさっそくこぼしてしみにしてしまい、かえって慌てて洗ったのも記憶にあります。日本に帰ってきてまだ2週間頃で、梅雨で、夏が来そうで、なんかこれからむくむくいろんなことがおこるのかなーという気持ちで、神楽坂をかたかた下りながら思っていました。

 このお店には、これをふくめて、その年だけで3度も行っていて、とてもお気に入りです。9月に恋人と、11月に父と行き、そのたびやっぱりおいしいなあ~、感動だな~という気持ちになります。9月に恋人と行ったのは、わたしのお誕生日祝いでした。雨が降る平日で、お店には、わたしたちのほかは一組しかおりませんでした。しとしと雨に濡れる、窓の外の自販機をたまに眺めながら、おいしーい!これもおいしーい!とにこにこしながら食べました。ケーキ皿には、22歳のお誕生日おめでとう!とフランス語で書いてあって、あの、おちゃめなスキンヘッドのウエイターさんが運んできてくれました。ちなみにこの日きていた黒地に白の水玉の、襟の大きなクラシカルワンピースは、古着だったためか、色落ちがひどく、雨粒が染みたところから黒ずんでしまっていて、だめになってしまいました。かなしい。11月には、父が仕事で東京に来ていた折で、ごちそうしてもーらおっ!と思ったのと、ほんとにおいしいんだよー!ということを教えたくて、連れて行ってもらいました。おいしかったです。

 このお店でフランス料理というものがおいしいのだと知ってから、ちょっとしたときには似たような価格帯のフレンチに2、3回行ったりしたのですが、それでもここがやっぱりおいしいよなあ~と、いつも、思ってしまいます。インプリンティングでしょうか。でもおいし~い!と感じられて、そうして感じるのもまた楽しいのでいいやーと思っています。

 もっとお高いところに、いちど、連れて行っていただいたことがあるのですが、そこもまたすんげーしんじられないくらいおいしくて、料理をむしゃむしゃ食べる置物と化してしまうくらいだったので、自分でお金を稼げるようになったら、自分のお金で、また、行きたいなあと思っています。すんごいおいしかった……。おいしい……。

2.8月に喫茶マロン(青森市)

 わたしはりんごのくに、青森県出身で、たまに帰省したときに、高校生まではまったく興味がなかったゆえにほぼ開拓していない喫茶店を開拓するようにしています。ここは、青森市では有名な純喫茶で、壁中に時計や、駅名表が飾られている、レトロな雰囲気のお店です。ソファ席もあって、居心地もとても良いです。日本の中で、かなりの僻地に分類される場所だと思うのですが、行くと必ず、台湾人らしき観光客のひとがいて、すごいごつくてかっこいいカメラで内装を撮っています。ほかになにもないような街なのですが……。

  このお店は、ケーキが200円台からあってとっても安いのもいいです。帰省ののりものに疲れてだらだらしようとするわたしを、このお店をえさ(?)に、母がえいやっと連れ出してくれます。半年に1度帰るか帰らないかなので、このお店では、近況をえいやこらえいやこらと話して過ごします。

 3.10月に紅鹿舎(有楽町)

 10月、就職活動の合同説明会に学部の友人と参加したのち、立ち寄りました。ピザトースト発祥の地として有名なお店なのだとか。内装も純喫茶らしくレトロです。このお店の特筆すべき点のひとつは、めっちゃ死ぬほどメニューが多いということです。飲み物から食事からデザート(ケーキ・ヨーグルト・パフェ)までが、ポップ体がぎっちりの、なんともいえない香ばしいメニュー表に記されています。トーストは、ランチタイムなどでは、結構なボリュームのものが、サラダもついて800円くらいでいただけるので、コスパがよきな~とと思いました。ただ、店員さんは、なんかすごい、ぞんざいな感じがします。そこそこ混む店なので、なおさら、ぞんざいな感じがします。

 さて、一緒に行ったこの友人は、細身で、ベリーショートが似合って、白くて、ちょっとモードっぽい(けど高くないものでうまく合わせている)お洋服をきていて、マニキュアも丁寧に塗られている女の子で、学校で会うたび、そのいでたちを見ること自体がたのしみなひとです。彼女は、東京生まれ東京育ち港区在住で、わたしとは生きてきた環境が全く違うにんげんに思われるのですが、お母さまがわたしと同郷で、お盆や正月に帰ったりするとのことで、学校外ですくなくとも5回は会ったことがあるような、なんだかそんな程度には親しくなっていました。不思議。このお店も、前から気になっていたんだけど寄ってもいい?と聞かれて、連れて行ってもらいました。このときは、彼女から、東京に生まれたかしこい子供はみんな中学受験をして東京大学を目指すもので、でも、自分はなんかそういうのにちょっと反発っていうか、それをしたいとも思わなかったし……というような話を聞いて、がーんとなった記憶があります。片田舎の県立進学校では、東京大学をめざせることそのものが、とても名誉なことだったのになあ、と昔のことを思い出して、ふう、と思いました。あと、お会計の時、彼女が、四谷に好きなパーラーがあって、と話し始めたのですが、わたしはすこし嫌な予感がしました。「フクナガ?」と聞くと、彼女は、「そう!フクナガ」と答え、わたしはまたすこしがっかりしました。というのも、四谷三丁目にあるフルーツパーラーフクナガは、つい数か月前に、インターネットの憧れのお姉さんに、連れて行っていただいたお店で、くだものおいしい!!こんなお店があるんだあ、人がたくさん並んでいるしすごいなあ、素敵だなあ、と思っていたからです。そのお姉さんも、このお店には学生の時よく来ていたとおっしゃっていたので、なんだか、都会の人は、いいなあ、と、しみじみ、感じたことを、また、あらためて、実感させられたような気になりました。彼女は、わたしより歳がひとつしたで、あまり、アカデミアに興味がなくて、帰国子女で、英語がペラペラで、そして東京育ち。それを、すごく感じて、ひとりで、しょげて、がっかりして、うんざりしたような気持が、帰りの電車に揺られている間も、続いていました。彼女のことはとてもすきです。すごくはつらつとしていて、さっぱりとしたところが、まぶしい女の子で、いつも憧れと嫉妬まじりの気持ちを抱きながら、お昼を食べたりしています。

 ということで3つ挙げてみました。去年はほんとうにいろんなところに行けたし、いろんなひととお話ができたし、今までの自分からすると、けっこう活動したなあと思いました。うれしい。今年も、いろんなお店に行きたいです。紅茶が好きだ!!!!コーヒーはちょっと甘くても苦手だ!!!ということも自覚しだしたので、今年は紅茶やさんやアフタヌ~ンティ~などをたしなみたいと思います。ウフフ

言語学修士課程の院試を解いてみたよ!

 千代子です。寒いね!!!さいきんのわたしは毎日がんばって大学に通っています。11月に欠席を繰り返しすぎたため、出席を比較的厳しく取るタイプの授業群はあと一回でも欠席すると不可がつくというめちゃくちゃ厳しい雰囲気になっており、かなり必死です。はい。

 ということで授業に出て普通に言語学の勉強しているなかで、せっかく勉強してるんだしなんか書きたいなーと思ったので今回はゴリゴリの言語学の記事を書くぞ!以前も言語学という学問がどのような問題意識を持っているのか、具体的には何を対象としているのかといった記事を書きましたが、今回は具体的な大学院修士課程入学試験問題を取り上げて、言語学における専門用語を使った回答の記述を試みたいと思います。具体的なイメージがわいて、言語学に興味を持ってもらえたら嬉しいです。学部レベルの授業を大学で2年受けたくらいの知識で書くので(書けるので)、院試といえどそんなに死ぬほどムズイわけではないよ!安心してね!!では早速行くぞ!取り上げる問題は、九州大学大学院人文科学府修士課程の平成28年度第一期入学試験の問題になります*1 こちらからどうぞ!

 

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 上記のPDFファイルから一部抜粋しました。今回は第一問のみをとりあげたいと思います。

 まず問題を解く前に、基本的な知識や用語の説明をします。この問題は言語学のうちでもとくに音声学・音韻論の領域の問題であり、redupulicated form, 重複形はどのように作られるのか、その規則を記述せよとあります。重複形というのは、日本語だとひとびと、やまやま、まちまちといったように、単語の一部または全体を繰り返すことによってできた新しい単語(この場合では、名詞の複数形)のことを言います。問題のManan語では、形容詞を作るときにこの重複形を利用しているようですね。

 また、単語を記述しているアルファベットのようでアルファベットではないようなこの文字についてですが、これは国際音標文字(International Phonetic Alphabet, 略してIPA)で、人間言語に現れるすべての音に一つずつ文字が割り当てられています。人間言語の「音」を記述する際はこのIPAを使います。IPAのどの記号がどの音に対応しているのかについてはひとつひとつやっていると死ぬほど大変で長くなってしまうので、ここでは不正確ではありますが、問題を解くのにはあまり支障がないので、まあだいたい普通のアルファベットぽく読んでください。英語の辞書には発音記号としてIPAらしきものがIPAっぽく使われているので、まったくなじみがない!!!!ということもないでしょう。あと記号についてもう一点、それは時々文字の上についている「チョン」のことなのですが、これはアクセントを表しています。これも英語の辞書にも似た記述があるので見慣れているかな。Manan語はアクセント言語であるので、アクセントの位置がどのように決定されるのか、つまり重複形を作った時にどのように変化するのかについても記述が求められます。

 ということで具体的にデータを見ていきましょう。単語のどの部分がどのように重複しているのか、アクセントはどのように変化するのか、この二点に留意して眺めてみましょう。

 1:どの部分が重複するか?

  データ(1)(2)(6)(10)(13)(これらをデータA群としましょう)を見ると、単語全体を繰り返しているように思えますが、(3)(4)(5)(7)(8)(9)(データB群)を見るとどうやらそうではないようです。これらは単語のお尻のほうだけを繰り返していますね。(11)(12)(14)(15)(データC群)を見るとお尻のほうを繰り返したもの、とも一致していません。一部が失われているからです(ragogoからは、(3)のようにragogogogoが予測されますが、実際はgoがひとつすくないragogogoです)。

 それぞれの単語ごとに繰り返される部分が違うようですね。上記の記述はデータの特徴の整理にはなっていますが、回答は、これらに共通する一般的な法則を、なるべく細かい条件を付けずに説明したものになっていなければいけません。この規則を抽出するということが大切です。

 そのためにいくつかの専門用語と概念を導入します。

 データ群によって得られる重複形が異なるということで、それぞれのデータ群同士でPlain form,元の形の何が異なっているのかを見てみましょう。まずA群とB群の元の形比べるとなんとな~くA群のほうが単語の長さが短くて、B群のほうが長い感じがします。ということで、単語の"長さ"、あるいはその単位について表す用語を導入しましょう。

 Syllable、シラブル、という単語を聞いたことはありますか?日本語では音節といいます。この音節というのは人間言語一般に共有されている基本的な言語音声の単位となるものです。例えば、beautifulという単語は、beau-ti-ful の3音節の単語です。catという単語は1音節です。音節はさらに3つの部分に分かれていて、それぞれonset, nucleus, codaと呼ばれています。ものすごい雑な説明をすると、onsetは音節の頭のほうにある子音、nucleusは音節の中心にある母音、codaは音節のお尻にある子音のことです。catという音節はそれぞれに音がひとつずつありますね。人間言語一般に、どの音節もnucleusは持たなくてはなりませんが、onsetとcodaについては言語ごとに条件が違います。例えば英語では、beautifulの例などを見るとわかるように、onset・codaはいずれも任意の要素です。あってもなくてもいい。翻って日本語では、onsetは任意ですが、codaは限られた要素しか基本的には来られません(たとえば /n/(いわゆる「ん」)など)。onset, nucleus, codaのそれぞれの位置のどのような音が許される、あるいは許されないのかについても言語ごとに異なります。

 ながながと書きましたが、まあこの音節を単位にして使えば、単語の長い短いについて言及できそうですね。さっそくデータA群とB群の元の形の音節数を数えてみましょう。すると、A群の単語はすべて1~2音節、B群の単語はすべて3音節になっていることが分かります。ふんふん。

 ここでA群とB群に共通するような繰り返しの規則はどう記述できるか考えてみますと、「後ろから数えて2つ分の音節が繰り返される」というのはどうかしら?となります。だいたいあっているように見えます。しかし、A群のうちのそもそも音節が一つしかないもの((1)と(10))もありますし、B群のうち(5)(9)は後ろから数えて1つ分の音節しか繰り返されていません。結構例外が多いですね。困った。どうやら音節を単位として数えるとうまくいかないようです。

 ということでここでまた別の単位が登場します。それはモーラ(mora)です。これは音節構造をもとにしたもう一つ別の音を数える単位で、日本語母語話者にとってはむしろこちらのほうがなじみが深いでしょう。というのも、日本語はモーラカウントの言語だからです。

 といわれてもなんのこっちゃという話だと思うので、モーラの定義について説明します。モーラというのは、音節の”重さ”を数えるものだと言われます。長さじゃないんかい!!!という話なんですけど音節が”重い”と実際使われる音数が多くなるのでまあ長さと似たようなものだと思ってください……。で、この重さの数え方ですが、ひとつの音節について、nucleusにある母音が短母音でcodaに音が何もない場合(ちなみにcodaがない音節のことを開音節opne syllableといいます)の場合は重さ1、nucleusが長母音で開音節のばあいか、あるいは、nucleusが短母音でcodaがある場合(開音節でない場合)重さ2と数えます。わかりにくいですが、ひらがなを使うと一発でわかります。というのも、日本語のひらがなはこのモーラ1つあたりに一文字になっているのです。

 「おかあさん(okaasan)」を例にとりましょう。これを音節にわけると、"o-kaa-san"と三音節になります(日本語ではkはcodaに来られないのでこうなります)。でもひらがなでつづると5文字……つまり5モーラの単語であるということです。どうなっているかというと、第二音節の"kaa"は、長母音を含むので2モーラ分になっているのですね。ひらがなでは「かあ」と書かれます。第三音節の"san"には、codaとして"n"が含まれているので、こちらも2モーラ、実際「さん」とつづられています。ちなみにちいさいつ「っ」も1モーラ文です(ex.「にっぽん(nip-pon)」)。これでだいたいモーラは数えられるようになったのではないでしょうか!?雑なうえに駆け足でごめんよ!!!

 では、こんどはこのモーラを使って各データを眺めなおしましょう。

すると、先ほど例外として挙げたほとんどのデータ(A群の(10)のみを除いて)は、「後ろから数えて2つ分のモーラが繰り返される」とするときれいに説明できることになります。例えばデータ(5)の"sulum"は、音節にわけると"su-lum"、これをもとにモーラを数えると、第二音節にcodaがあるので、3モーラとなり、後ろの2モーラ分は"lu-m"が該当し、実際にこの部分が繰り返されています。いいね!ただA群の(10)はそれでもどうしようもないですね。うーん。でも先ほどに比べるとかなり例外が減ったので、音節ではなくモーラ基準で考えるのはある程度妥当性がありそうです。ひとまずここは先に進みましょう。

 さあやっとA群とB群の比較がいちおう落ち着きました。ここでわかったことをもとにつぎはC群を考えましょう。C群のデータの特徴は後ろから数えて2モーラ分繰り返されたものよりも、1モーラ分少ない形が重複形となっているところです。C群の元の形の、A群やB群との違いはなんでしょう?これは割とすぐわかりますね、後ろの2モーラが完全に同じモーラの繰り返しになっている点がC群のデータの特徴です。よって、A・B群と同じ規則で重複形を作ると、同じモーラが4つ連続してしまうわけです。1モーラ分削りたくなるのもなんとな~くわかるような気がしませんか?この現象(に類似する現象)として、重音省略(haplology)があります。これは、連続した2つの連続した同じ・あるいは似通った音節のうち一方が省略される現象のことを言います。まさにこれだ!!!!日本語にも例があり、「体育」なんかはもっともわかりやすい例のうちのひとつではないでしょうか?たいてい、「たいいく」、ではなく「たいく」、と皆さん発音しますよね。Manam語の重複形にもこの種のことが起こっていることが推測されます。とはいえ、Manam語では3連続まではOKっぽいのがちょっと難しいところ。とりあえず、先のルールに加えて、「繰り返される部分が同一の2モーラの連続の場合、重音省略が起こり、1モーラ分省略される」と記述しておくにとどめましょう。

 ということで、だいたいどの部分がどのように重複されるのかはわかりましたね(まだいくつか不明点は残りますが)!!!!次はアクセントがどのように付与されるかを見ていきましょう。

2:アクセントはどのように付与されるか

 アクセント付与の規則についてですが、Manam語のような強勢アクセント(どこを大きく、高く、長く発音するか)言語の場合、Footという概念を使うことでうまく説明できることがあります。また新しい概念が出てきた!!!!!ゆるしてくれ!!!!

 Footというのは、先ほど説明した音節やモーラよりももうひとつ大きな音の単位になります。フットというのは、一定の数の音節あるいはモーラをひとまとまりにしたもので、2音節あるいは2モーラで1組とするものが例が多いです。日本語は典型的に2モーラ1フットですね。略語とかがわかりやすいと思います。パソ-コンとか、ハイ-テクとか、けい-おん!とか。で、このフットをもとにいくつかの条件を組み合わせることで、アクセント付与の説明ができることがあります(最適性理論の枠組みになります、これめっちゃかっこいい理論なんですけどそれをはなすとまた長いので注釈見てくれ!!!*2

 まず、人間言語一般において、アクセントパターンには、要素が2つの時は、「強弱」と「弱強」の2パターンがあり、前者をTrochaic pattern、後者をIambic patternといいますが、①言語ごとにどちらなのか違ってきます。

 つぎに、フット形成について、②何音節・あるいはモーラで1フットなのかという基本的なルールが必要です。また、③1フットあたりの音節・あるいはモーラ数は厳守、なのか、あるいは④すべての音節あるいはモーラはフットに属さなければならないのか、といった条件(とその優先度)が言語ごとに違ってきます。 

 また、フットの数え方について、⑤語の頭(Align left)あるいは語の後ろ(Align right)から数えるのか も言語ごとに違ってきますし、⑥何番目のフットに主アクセントを付与するのか(語頭ならLeft most、語末ならRight most)でも違ってきます。

 以上上げた①~⑥の条件が、このManam語ではどうなっているのかを確定できれば、このアクセント付与がどのように行われているのかという問題に答えたことになります。なんか例とかもなしにがんがん6つも条件いってごめんね、これから具体的に見ていくので適当に読み飛ばす程度でいいよ!いくよ!

 さて、まずManam語は1フットあたり何モーラなのか(②)についてですが、さきほど「お尻の2モーラ分」とのことだったので2モーラ1フットが基準(つまりさきほどのルールも「2モーラ1フットカウントで、語末の1フットが繰り返される」と言い換えることができます)、お尻からフットを数えていることから⑤についてはAlign right、かつアクセントは全データにおいてお尻の1フット2モーラのうち(つまり⑥は語末のフットにアクセントを付与するということなのでRight mostとなります)1番目のモーラについているので強弱、つまり①についてはTrochaicアクセントであることがわかります。

 そして先ほど例外としてあげたA群のデータ(10)がここできいてきます。このデータでは1モーラしかないのに、それ自身が繰り返されて重複形ができあがっています。ここで③④の条件がどのようになっているかを確定できます。1フット2モーラである以上、奇数モーラの語では、フットを作ろうとすると、かならず1モーラ余ってしまうのですが、そのあまりの扱いについてが、この③と④で規定されます。このあまりのモーラについては、あまったのでフットにそもそも入れないという方法(フット内のモーラ数厳守ということで③にあたります)と、あまったけどフットに全部収めたいからモーラ数が足りてないけどむりやりフットにするという方法(こちらは④にあたります)の2通りの処理が可能です。これまでのデータとその説明との一貫性を保ったまま、データ(10)を説明しようとすると、どうやら、Manam語では③ではなく④のようです。(10)の"pi"は1モーラで通常の2モーラ1フットにはなれませんが、むりやりフットに収めるために、単独でフットとして扱われ、そこに「語末の1フットが繰り返される」というルールが適用され、"pipi"という重複形が得られるようです。

 まとめると、Manam語のアクセントは、

①基本パターン:強弱アクセント

②1フットあたり:2モーラ

③1フットあたりのモーラ数は:厳守されない

④すべてのモーラはフットに:属さなければならない

⑤フットを数えるときは:語末から

⑥アクセントを付与するフットは:語末フット

という風に記述されます。これでこの問1に答えたことになります。お疲れ様です!!!!!!だいたいこんな感じでまとめてみましょう。

 

「 Manam語は、モーラ基準の言語であり、1フットあたりモーラからなる。また、すべてのモーラはフットに属さなければならないため1モーラのみでもフットを形成することがある。加えて、フットは語末から形成される(Manam語における基本的な音韻ルールの説明)

 重複形は、基本的に語末の1フットが繰り返されて形成される。ただし、1フットが同一の2つのモーラから形成されるときは、重音省略が生じ、本来より1モーラ少ない形が重複形になる(重複形の形成についての説明)

 Manam語のアクセントは、強弱パターンであり、語末のフットに付与される(アクセント付与の説明)。」

 データを眺めていてなんとな~く感じた規則やルールも、専門用語を導入することでこのようにすっきり記述することができました。こんなにすっきりしているのにすべてのデータにあてはまる説明になっています。専門用語すご~~~い!!!

 ということで書いてみた!!!!もちろんわたしはまだまだ勉強中の身なのでこの答えや説明には不適切な部分が多々あるかと思いますが(あったら指摘してね!!!お願いします!!!!!!!とくに重音省略のくだりは不安です!!!!)、大筋ではだいたいあっているんじゃないかしら……と思います……。あっていなかったとしても、導入した概念について、なるほどにゃんね~言語学ではこういう枠組みで分析してるにゃんね~~~と思ってもらえたらうれしいです……。なんかちょっとどうしよう、ここまで誰も読んでくれてる気がしないぜ!!!!でも書けてよかったです……自分の勉強になりました……。ということでお疲れさまでした!!!!!!!!!!ここまで読んでくれた奇特な人はマジでありがとう!!!!!!!!!!

 また、もっと問題ときた~い、みてみた~いというひとは、上記の九州大学のHPにたくさん過去問がありますし、国際言語学オリンピックというのもあるので、そちらも要チェックだ!言語学オリンピックについては、のらんぶるさんというひとのこういう記事がとってもとってもおすすめだよ!言語学オリンピックは専門用語を使わない分もっととっつきやすかもしれないです。

nolimbre.hateblo.jp

 

またね!!!!!

*1:なぜ九州大学なのかというと、以前ふんわり院進学を志したことがあり、国立大学で言語学ができてかつ外国語の試験が英語のみのところないかにゃ~と調べていた時に見つけ、過去問もインターネットから入手できるしここ受けようかしらと考えたことがあったからです。

*2:最適性理論とは、それぞれの言語の音韻パターンの違いを、人間言語に共通な複数の音韻規則の種類と優先度の付け方の違いとしてとらえる理論。アクセント付与についても、下記に挙げる①~⑥の条件の優先度や内容を言語ごとにうまく調整することで説明ができます。ほかにも、借用語をどのように自分の言語の音体系に落とし込むかもこの最適性理論で説明できることが多いです。最適性理論は、すべての人間言語に共通のルール(原理・原則)を仮定することで言語の普遍性を、そのルールの優先度の違いで言語の多様性を説明しており、生成文法の考えと似ているのでわたしはすごく好きです。)