ひびの祝福

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スーパー無敵スター、あるいは大学卒業おめでとう

 わたし、マジやばい。マジ、自己肯定感、ブチ上がってる。自尊心、ダダ上がり。あまりにも自己肯定感と自尊心が満たされすぎてて、いままで毎晩足りない自己肯定感や自尊心を補おうとセルフよしよししてた時間、マジ持て余してる。長い間、いかに自己を肯定し尊重するかについてあれこれ悩んだりしていたので、ほっといても自己、肯定しまくりの尊重しまくり、みたいな状況がはじめてで、重荷が突然ふっと軽くなったみたいで、びっくりしているのだ。毎日3、4時間しか眠れなくてほぼ徹夜でつぎからつぎに課題ばっかりやってた試験期間が、とうとう終わって、突然なんにもすることがなくなってちょっと居心地が悪いような、そんな気持ち。

 高校生のとき、わたしの自己肯定感ちゃんといえば、マジ貧弱の激弱だった。高校に入りたてのころは、『数学ガール』みたいな高校生活を送りたくて、めちゃ勉強をしていて、ガリ勉であった。一日の勉強時間が200分超えてくるとニヤニヤしだして、休日に500分とかできるともうマジ快感、みたいなキモい高校生であったので、当然友だちはいなかった。正直に言うと、いっしょにくっついて教室移動をしたり体育をしたりさせてもらっていた(ほんとうに、させてもらっていた、としか言いようがない)グループはあったのだが、マジで浮いていた。わたしの学校は田舎で唯一の進学校で、医者か教師か公務員の子供が圧倒的マジョリティという異常に治安のいい場所だったので、陰口をたたかれたり馬鹿にされたりといったことは幸いなかったが、なんというか、その生暖かいやさしさのおかげで、最初、なんとなく浮いてることに自分自身あんまり気付けていなかった。しかし、夏の文化祭の準備期間に、とうとう浮きすぎてそのグループからぽぽーんとはみでてしまい、みんな友達同士ときゃっきゃしてるところを、地面から数センチ浮いたまま、ぼんやり見ることしかできないみたいな事態に陥ってしまったのである。文化祭の一日目はみな美容院へ行って浴衣を着つけてくることになっているのだが、そのときばかりはわたしは、「勉強を頑張ったからといって、友達ができるわけではないのだな」と思って心の中で泣いていた。アホである。でも、綺麗に髪もやってもらって浴衣も着せてもらって超マジかわいい自分を、誰にも褒められることなく、そして同じく超かわいいクラスメイトたちの誰のことも褒めることなく、華やいだ雰囲気のなかひとりでいるのは、15歳のわたしにはけっこう堪えたのだ。

 それまでのわたしは、ど田舎だったこともあり、勉強が一番できるというそれだけを自信にしていて、どれだけクラスから浮こうとも、空気が読めずに疎まれようとも、カースト底辺に置かれて軽んじられようとも、でもわたし、賢いし、といってふんぞりかえる性格の悪い子供だったのだが、このとき、なにかがぽきっと折れた。勉強が学校で一番できても、友達もいないし、一緒に笑いあうこともないし、浮いてるし、腫物だし、ぜんぜんいいことないじゃん。そしてわたしはそれ以降まじめに勉強をしなくなった。

 それで勉強をやめてどうなったのかというと、当然のことだが成績がさがった。一番がなかなか取れなくなった。そうするともう大恐慌である。なぜなら、どんだけ友達ができなくても成績いいしとふんぞりかえっていたその成績すらなくなってしまったからである。勉強をやめてから高校を卒業するまでの間、わたしの自己肯定感ちゃんはだからマジ瀕死だった。死んでいた。なんもないじゃんと思った。勉強もできなくて友達もいなくて、でもクラスメイトには友達になりたい人とかぜんぜんいないし(なんという上から目線なのだろうか?)、みんなバカだし、親もわたしの成績にしか興味ない(ように見えていた)し、誰とも話が通じないし、みんなに腫物扱いされるし、わたしは自分の考えていることを一生懸命伝わるように表現してるつもりなのに、わたしがおかしいから伝わらないのかな、わたし、頭おかしいのかな、でもリストカットとかもできないしやっぱり正常なのかな、でも、でも、でも……。自分が自分でいてもいいという自信が皆無だった。周囲をバカにして見下しながら、でも、バカなはずの彼らはすごく楽しそうにしてる、じゃあやっぱり自分の頭のほうがおかしいのかな、と不安になる日々は、地獄だった。いままで、成績がいいからって(そして治安のいい高校だったので)、頭がおかしくてもみんないじめたりせずにそっとしておいてくれた。時には一目置いてくれた。でも、わたしたぶん、いまはなんとか10番からは落ちてないけど、そろそろ落ちそう。ていうか受験も失敗しそう(実際に失敗した。二度も)。そしたらわたしはどうしてクラスで浮いていることに耐えられるだろう?

 しかしそうはいってもやっぱりわたしは賢かったので、高校三年生になるくらいには悩んだ末にある程度の指針ができていた。それはこうである。まず、学校やクラスで勉強が一番に出来る、というようなことをアイデンティティに据えるのはよくないという結論に達した。相対評価だからである。いる学校やクラス、コミュニティによって、容易に変化するようなものをアイデンティティの根底に据えると、コミュニティが変わるたびにものさしが変わって、その都度調整する必要がある。それは結構めんどくさいしもろいと思った。自分の能力にも限界がある。才能っていうものもある。そして、どこにいっても変わらないような、絶対的なものさしを確立するべきだと考えた。ただ、高校生の頃はそれがどんなものさしなのかということは、わからなかった。とりあえず、点数とか順位とかをものさしにするのはやめよう、いやまあ、ちょっといい成績でるとまたふんぞり返りそうにはなるけど、でも、それがよくないということだけは意識しておこう。そこまで考えたところで、わたしは高校を卒業した。自己肯定感ちゃんはでも、やっぱりまだ死んでいた。

 さて受験に華麗に失敗した私は浪人生として予備校に通うことになるのだが、この一年をかけて、点数や順位をものさしにしてすぐに人をバカにしたがる自分をわたしはなんとか諭した。そうして点数や順位というものさしを一度放棄したら、わたしは自分で自分の気持ちを言い当ててしまった。わたし、勉強自体、そんな、あんま、好きじゃないかも!?!??!?!ぜーんぜん、好きじゃない!!!!!なんということだ。でもこれが自分の本音だった。それまで、一応優等生ということでだらしのない生活態度などを先生方に許してもらっていたので、「勉強が嫌い」なんて言えなかったしそんな自分を認められなかった。「勉強嫌~い」なんて頭の悪いバカで生きる価値のないやつのいうことだと固く信じていたが、いや、まてまてまて、勉強が好きな人なら、もっと勉強してるし受験に失敗しないのでは?と考えてはたと気付いた。それに、点数とか順位が低い人をバカ扱いして見下してるの、そんなに楽しくないしなんなら気分が悪くなっちゃうな???そんな自分も好きじゃないな???あれ、もしや、わたし、勉強そんな好きじゃないから、死ぬ気でやったり絶対志望校に受かるぞ!とかっても思えないんじゃない?モチベーションがどうとかじゃなくて、普通に、好きじゃないんじゃない!?みんながいいっていう一番の大学を目指して死ぬ気で努力してそれを達成するというのを、わたし、そんな興味ないんじゃない?どうりで勉強しても友だち出来ないしとか意味わかんないこと言い出して勉強全然しないわけだ!!!わたしは勉強することによって何かを学べたりできるようになることそれ単体のためだけには頑張れないんだ。勉強することで一番になってふんぞり返れたり、みんなに好かれたり、とどのつまりわたしはわたしでいいんだよ、って認めてもらいたかったんだ。勉強はそのための手段でしかなかったんだ。ということを理解していなかったから手段にすらなってなくてひたすら迷走していたんだ。なるほどー!!!!欲しいものを素直に欲しいと言い、そのために素直にやっていればこんなねじれは起こらなったのに……わたしの暗黒の高校生活よ……。うう……。それからわたしのアイデンティティの指針がひとつふえた。それは自分ののぞみに誠実であることである。

 という感じでわたしの自己肯定感ちゃんの死因がとりあえず判明し、そこから必死の救護活動が始まる。とっかかりはつかめていた。つまりわたしは、自分で自分の問題を設定して考えて解決することができる賢い人間であるということをアイデンティティにしたらいいのではなかろうか?そしてそのためには自分ののぞみに嘘をついてはいけないし、誠実でなければならない。それを軸に自己肯定感に水をやり日を当て育ててやればいいのではなかろうか?そしてそれは正しかった。わたしは鳥が空を飛べて魚が水の中を泳げるのと同じように、たぶん自分ののぞみをごまかせないんだろうし、ごまかしてたら「ごまかすな!!!!」っつって精神が病んでわけわかんなくなってSOSでてすぐわかるし、それに解決しようとして考えることをやめられない。それがわたしの得意なことで、努力しなくても意識しなくてもそうあれてしまう、それ以外ではあれない、そういう絶対的な性質なんだろう。

 フレンズによって得意なことは違う。でもじゃあわたしにだけ得意なことは?わたしという人間がいついかなるときも満たしている性質は?それを言い当てることができてよかった。わたしの得意なことは、勉強とかスポーツとか音楽とか美術とか、そういうわかりやすいものじゃなかったから、いままでわからなかったけど、「う~うにゃうにゃ~~~しにたい~~~」と思いながら地獄をのたうち回っていたらひらめいた。わたし、のたうちながらも一応前に進めてるくない!?自分で考えて改善しようとすること、そしてそれを可能にするだけの言語能力がわたしの得意なことなんじゃん?!おお~地獄も悪くねえな!!気付かせてくれてありがとよ!!!あばよ!!!そしてわたしは浪人生活を終え、さほど勉強していなかったのでフツーの私立大学に進学する。

 こうしてわたしの自己肯定感ちゃんはなんとか息を吹き返した。まだまだちいさい芽でしかなかったけど。

 しかし大学に入学してからも地獄は続いた。地獄祭りである。不本意な留学と就の活はとくにひどい地獄だった。つら~~~い!!!なんて地獄の多い人生なんだろう?何の準備もしないで地元をしのぐど田舎での10か月の留学生活、入りたかったゼミが先生のサバティカルでまさかの募集停止、肉食マッチョ人間の集う就の活イベントでの精神大爆発など、地獄地獄アンド地獄である。2週間ひきこもったりとかざらである。ところがどっこい、大学生活もそれなりに地獄だったのだが、わたしの自己肯定感ちゃんはそのなかでもすくすく育っていた。というのもわたしの得意なことは逆境でこそ発揮されるものだからである。つらくてくるしい~なんでだ!?どこがでどころだ!?!?!?ここか!!!ここじゃん!!!!!オラーッ!!!!!というのがわたしの得意なことなので、地獄みを感じるたびに同じことをした。そしてオラーッ!!!!としてた結果、留学先では英語が異常に苦手なわりにがんばって、"You are one of the most gifted students we've ever met."というお褒めの言葉ももらった。一人旅もできた。わたしの得意なことが社会という大いなる他者に通用するかどうかはまだかわからなくて大いに不安だった就の活も、とりあえず終わった。いろんなお姉さんやお兄さんに手伝ってもらいながら、あちこちの選考で落ちまくりはしたものの、行きたいところになんとか行けることになったのである。快挙である。自分の得意なところを戦略的に利用して、社会にもわたしの居場所を認めさせることができた。やった!!!自分のために用意されている椅子を社会の中に何とか見つけ出して座らせてもらったぞ!!!

 そして就の活も終わるとあとは卒業するだけである。感無量。暗黒の高校生活を送っていたころから8年だ。やっとわたしはわたしのことがすごいえらいなと褒めるだけでなく自信をもって胸を張れるようになった。高校生および浪人生の時に達成できなかった、自分ののぞみをちゃんと把握してそのために努力し、結果を出すということができるまでになった。ここまできて、わたしの自己肯定感ちゃんはやっとなんか一人前になってきたような気がする。わたし、いま、だからスーパー無敵スター。あるいは暇な女子大生ニート。バイトに励み遊びまくっている。すこやか!

 張りぼての見栄みたいな第一志望の大学に落ちて、さほど考えずにフツーの私大に進学した。ぜんぜんする気も興味もなかった留学もしなくちゃいけなくなった。でも勉強はおもしろかったし留学していいこともたくさんあった。東京はマジで魔界の激ヤバシティだけど、いろんなひとに会えていろんなところに行けた。死にたくてむなしくて泣いた日、マジ数えきれない。大学、相変わらず出席率半分ちょい。友だち、いない。でも大学で知り合った友達は3人できた。すごい。それでいいじゃん。よかったじゃん。両親にも恵まれて援助もたくさんしてもらえて、たのしかったじゃん。

 とはいえ、働き出したらたぶんまたわたし、絶対、まず間違いなく、地獄だ~って思う日々が、来ると思う。涙がとまらなくて体が重くて死にそうって中で休まず朝から働きに行かなきゃならなくてマジしんどい勘弁してよって日が、絶対、来ると思う。それにこの国、どんどん悪くなってってると思う。東京五輪もたぶんしっちゃかめっちゃかでうんざりどよ~ん、安い給料で買いたたかれるのにもういい加減麻痺してきたぜどよよよ~ん、そんなことばっかりだと思う。でもわたしたちは死ねない。かわいそう。そしてわたしの唯一の特技は地獄をのたうち回ること。だからきっと頑張ってる。頑張れる。っていうか地獄マジやだマジ怒り、なんとかして回避してやるって考えずにはいられないもんだからなんかそれに向かってやってると思う。地獄が来ても。と、すくなくとも今は信じられる。頑張れなくなっててもそれでいい。そのときは長年の夢、自殺でもできるようになってるんじゃないでしょうか。それもまたいい。まあいいじゃん?

 だから今は大学卒業おめでとう。のこり少ない期間たくさん勉強して遊んで学生を満喫してね、ってするぞ!!!するからな!!!!押忍!!!!